身体均整法とは?

当院の施術のベースになっているオステオパシーと脊髄神経反射法、それらを総合した日本の伝統的な手技療法について紹介します。


身体均整法の成り立ち


身体均整法創始者 亀井進

身体均整法は愛媛県松山の人 亀井進(故人)によって1956年に発表された手技療法です。

日本の伝統的な手技療法とカイロプラクティック、オステオパシー、スポンディロセラピー、東洋医学の経絡理論を融合した『運動系の医学』ともいわれました。

身体均整法の施術では、まず眠りやお通じ、日々の身体の状態を、スポンディロセラピーにもとづく48枚の「脊髄神経観歪表」と照合します。

身体に生じている自律神経のアンバランスを読み取るのです。

つぎに関節運動学、身体重心の視点から、身体のゆがみ(姿勢や動きのアンバランス)を運動学的にとらえます。

自律神経と運動学の二つの視点をまとめたものが体型学です。

このようにクライアントの身体の状態を詳しく読み取り必要最小限の刺激で無理なく整えていくのが、身体均整法の技術なのです。

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身体均整法の成立史


身体均整法が産声をあげたのは1949年。当時、敗戦後の日本では、GHQの指示のもとに医療改革が進められていました。医療改革のなかで中心的な役割をはたしたのは公衆衛生局(PMW)でした。

当時は、伝染病対策の経験にもとづいて、WHO (世界保健機関)を中心に非科学的な医療類似行為(民間療法)を排除することが世界的な潮流でした。

日本でも「あんま鍼灸柔道整復士法」(1948)が制定され、法律に定められた資格を持たなければ一切の営業を認めないことがさだめられました。

 


療術法制化運動


これに対し、日本の民間療法家たちは、全国療術師協会(全療協)のもとに集まり、療術法制化運動を展開しました。その中で、療術の科学化の必要を訴えて指導的な役割をはたしたのが亀井進でした。

当時、厚生省は、京都大学の生活科学研究所を中心に療術実態調査を進めていました。全療協は、この療術実態調査への協力を通じて療術を法制化しようとする運動を展開しました。

亀井は愛媛県療術師会のメンバーとして、療術法制化の運動に積極的に関わり、療術の科学的な価値を再発見するとともに、現代に価値のある療術を明らかにすることの必要性を痛感するようになりました。

亀井進と愛媛県療術師会


科学的療術の確立のために


PMWは、日本の医療制度全般について幅広く分析をおこない、戦前の日本の医療制度の問題点を多方面から洗い出しました。今日では当たり前になっている国民健康保険の制度、各地の保健所の活動、医師や看護士の養成制度、病院の施設の充実、医薬分業の徹底など、今日の医療制度の基礎を作りました。

療術法制化の運動が始まった当初、亀井進は「自分はそもそも療術師ではなかった」と懐術しています。

その一方、妻や息子が失明や下半身不随で病院から不治を宣告されたとき、療術の施術によって、一度は見放された視力や下肢の力がしだいに回復してゆく経過を、見守ってきた経験を持っていました。

亀井の目には、GHQの指示によって民間療法が禁止されると、結果的に不幸をこうむるのは一般の庶民だと見えました。そして、業者・業界のためではなく、人類の保健衛生に価値のある療術の確立を訴えるに至ります。

1949年、亀井は、オステオパシー、スポンディロセラピー、カイロプラクティック、東洋医学の成果を吸収しつつも、それだけにとどまらず身体重心のかたよりと身体のゆがみに対する研究と矯正体操の観点から身体均整協会を設立しました。

療術実態調査についての記事


プライマリーヘルケアと手技療法


1970年代に入り、抗生物質の普及、天然痘撲滅運動などをへて、伝染病・感染、症対策が一定の効果をあげることが明らかとなってくると、WHO(世界保健機関)のなかでも伝染病以外にも様々な健康へのリスクが存在することが意識されるようになってきました。

そして伝統的医療にも一定の役割と根拠があることがしだいに理解されるようになってきました。

1978年、カザフスタンのアルアマタで開催されたWHO(世界保健機関)のプライマリーヘルスケアの世界大会で、健康のためには医療機関が提供する医療(メディカルヘルスケア)だけでなく、身近な生活圏での取り組み(プライマリヘルスケア)が重要であることが確認され、その中で必要なときは伝統的医療従事者の助けを借りることが明記されました(『アルアマタ宣言』)。

 

戦後の衛生博覧会


伝統的医療の復権


今日、インドのヨガを筆頭に、世界各地で自国の伝統医療を知的財産として登録する動きが加速しています。戦後の非科学的な医療類似行為を禁止しようとする政策は、根本から覆されることになったのです。

厳しい規制のもとで、それにくじけることなく科学的な手技療法の確立を目指した亀井たちの取り組みは、その意味で今日のプライマリヘルスケアの流れを先取りするものでした。

当時の療術法制化の運動がなければ、日本は自国ではぐくまれた豊かな伝統医療の遺産を根絶やしにしてしまうところだったでしょう(現に韓国では自国の伝統医療の伝統が途絶えてしまいました)。

その意味でも、亀井らの展開した療術法制化運動、療術科学化運動の残したものは貴重な成果だったのです。


日本療術学


1951年にあらわれた『日本療術学』のなかで、亀井はデマッハやヴントらの科学論、ダーウィンの進化論などを引き合いに出し、手による療法がどのように人間の生活を関わりがあるのかを掘り下げています。

そして、療術行為は療術学はより適切な調整行為を生み出すための修正の科学、「帰納的科学」でなければならないとし、「調整的行為論」を主張しました。

このような亀井の主張は、当時、「国会対策一辺倒」とか、「国会議員頼み」とも揶揄された療術法制化運動のなかで、療術のあるべき姿を広く一般庶民の立場にたって見直そうとするとても良心的なものでした。

『日本療術学』の冒頭で、亀井は、「広く人類にとって、療術が意味を持つか否かを明らかにすることが、療術学の出発点でなければならない」と主張しています。

身体均整法は、日本の伝統と広く人類に価値あるものを明らかにしようとする科学的な姿勢が融合した最も先進的な日本の手技療法なのです。

一般社団法人身体均整師会

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